裁判員制度には、場合によってよい時もよくない時もあると思う。一般の人々が裁判に参加して、 独裁的な裁判が行われるのを防止することは良い目的だと思う。例えば、韓国の場合は性犯罪の罰は理解できないくらい軽い。次のようなひどい性犯罪のニュースを見たことがある。子供を強姦した男が有罪となったが、たったの懲役2年の刑しか言い渡されなかったというのだ。被告が犯行に及ぶ前に飲酒をし、正常な考えができなかったために罰が軽くなったというのだが、それはどうしても理解できない。そのニュースを見た人々は、皆怒ってしまった。ニュースについての人々のコメントを読みながら、裁判員制度があれば、子供に対する性犯罪はもっと重い罰を受けるに違いない。このような場合には、裁判員制度があるべきだと思う。
一方で、やはり法律の知識をもっていない一般人に事件の判断を任せるのは問題があるようにも思う。性犯罪の問題に関しても、信じられないことに、例えば成人女性が短いスカートをはいていたり、男性を誘惑するような服を着ていたりすれば、その女の子は強姦されても弁明できないと考える人も存在する。反対に、そんなことは理不尽だと考える人も人もたくさんいるだろう。すると、いつも裁判員制度が正しい答えを導き出せるわけではないことになる。
結論を言うと、私は裁判員制度に反対だ。もちろん裁判員制度があったらいろいろな人々が意見を出すからもっと欠陥的な結果がでるかもしれない。だが、法律の知識も、法律的に判断する訓練も与えられなかった一般の人に、判決に関わる意見を聞くことは、リスクの方が大きいと考えるからである。