Friday, March 25, 2011

裁判員制度について。。

裁判員制度には、場合によってよい時もよくない時もあると思う。一般の人々が裁判に参加して、 独裁的な裁判が行われるのを防止することは良い目的だと思う。例えば、韓国の場合は性犯罪の罰は理解できないくらい軽い。次のようなひどい性犯罪のニュースを見たことがある。子供を強姦した男が有罪となったが、たったの懲役2年の刑しか言い渡されなかったというのだ。被告が犯行に及ぶ前に飲酒をし、正常な考えができなかったために罰が軽くなったというのだが、それはどうしても理解できない。そのニュースを見た人々は、皆怒ってしまった。ニュースについての人々のコメントを読みながら、裁判員制度があれば、子供に対する性犯罪はもっと重い罰を受けるに違いない。このような場合には、裁判員制度があるべきだと思う。

一方で、やはり法律の知識をもっていない一般人に事件の判断を任せるのは問題があるようにも思う。性犯罪の問題に関しても、信じられないことに、例えば成人女性が短いスカートをはいていたり、男性を誘惑するような服を着ていたりすれば、その女の子は強姦されても弁明できないと考える人も存在する。反対に、そんなことは理不尽だと考える人も人もたくさんいるだろう。すると、いつも裁判員制度が正しい答えを導き出せるわけではないことになる。

結論を言うと、私は裁判員制度に反対だ。もちろん裁判員制度があったらいろいろな人々が意見を出すからもっと欠陥的な結果がでるかもしれない。だが、法律の知識も、法律的に判断する訓練も与えられなかった一般の人に、判決に関わる意見を聞くことは、リスクの方が大きいと考えるからである。

Wednesday, March 23, 2011

裁判員制度

韓国には裁判員制度というのはない。それで、「裁判員制度」に疎い私にとってこの制度の導入の賛否をどうやって判断するのかは正直いってよくわからない。

だが、法の素人の一般人が重大な判決に影響を与えられるという事実には反対だ。法律の専門家でも誤って間違った判断をする時がある。そうすると、その犯罪を犯してないのにその判断ミスで冤罪をこうむられる人が出てくる。まして、法の素人の裁判員はこのような過ちを犯す可能性が法の専門家に比べてもっと高いのは当たり前のことだ。たとえば、法の素人である裁判員達がある事件について専門的な視点で見るのではなく抽象的な観点でその事件を解釈して満場一致でその被告の死刑を主張して、それが受け入れられて裁判長がその被告に死刑を言い渡すとする。でも、実際にはその被告には何の罪もない。この場合には多数の素人達が一人の人生をめちゃくちゃにたうえ、無罪の一人の人間の命を奪ってしまったことになる。するとしたら、その間違った判決による残酷な結果の責任は一体誰に問われるのだろう。法について何も知らない一般人?素人の意見を受け取った裁判長?うまく被告を守れなかった弁護士?裁判員制度を導入した人?これは切りのない質問である。自分の分野でないことで誤った裁判員を責められないことは確かだ。

裁判というのは単純に黒白を明らかにするのではなく、いくら被告が犯罪を犯したとしても一人の人生と命がかかったとても重大な問題だから人が人を裁く時は相当な責任感と良識が必要である。だから、必ず経験と法について知識の豊富な専門家が犯罪の真偽を確かめて量刑を決めるのは当たり前で、一般人は裁判の判決について関わってはいけないと思う。

Tuesday, March 22, 2011

裁判員制度について

私にとっては、そんな風に「裁判員制度」の導入はいい点がもちろんあるけど、もっと多くの問題が起きさせるから、反対だ。

法律は、ある国家とその中で住んでいる人の安全と利益を守るために作ることだから、人の感じによってかわるはずじゃなくて、強引に実行することだ。人々は、自分は法律の権利があるのを感じて、社会の公正を守る力があるのも感じするのは、必要だ。けれども、民主化はもちろん悪いことじゃないけど、実は、主に理想的なことだ。強調しすぎると、社会の秩序が乱れになって、かえって民衆の利益に悪い影響になっている。例えば、一般的な人が法律のルールがあまりわからないのに、裁判員になって、被告の罰と具体的な刑を決める仕事をもって、問題だ。そして、専業の法律の訓練をあまり受けなくて、だいだい自分の感じと偏見によって、不公正な判決をする機会が多いと思う。その以外、もしあまり重罪じゃなかったら、例えば、窃盗と交通について犯罪だったら、裁判員は判決することが大丈夫かもしれないけど、死刑に至っては、言い渡すことは、専業の裁判長にもとても大きいストレスがある、まして裁判員がその経験が少ないから、 とてもできないのは、想像できる。

それにとって、一般的な人が法律の実行に参加するという考え方がいい点があるの同時に、私たちは、その参加の程度と方法をもっとまじめに考えなければならない。例えば、その有罪無罪の決めることは、裁判員が参加するのはいいかもしれないけど、その量刑のことは、専業の人が処理するのは、もっと合理だと思っている。

つまり、「裁判員制度」の導入は、いい影響も悪い効果もあるから、簡単に賛否することはできないけど、一般的な人が裁判員になる条件が未熟の時、急にその制度を全面的に実行すると、大きい問題になってしまったのに違いないと思う。だから、私は反論を持つ。